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社会保険料負担を考えると、新規の正規社員を増やすよりも、割り増しの賃金を支払ってでも時間外労働に頼った方がコストは安かったからだ。  この時期には、輸出と財政支出の乗数効果が低下した。
輸出と財政支出で企業収益が増えても、設備の棄却、土地の損切り売り、銀行借入の返済などの「後ろ向き」資金に使われ、「前向き」の賃金引上げや投資には回らないからである。 このため、財政刺激の効果が薄い(乗数効果が小さくなった)とか、輸出から内需への好循環が始動しないとか言われていた。

 企業収益が増えて来れば、やがては雇用者報酬にも均箔して来るという政府や日本銀行の「ダム論」や「トリクルーダウン理論」(trickle down theory)は空振りに終わった。 日銀「短観」では、大企業の売上高経常利益率が、○四年頃からバブル期のピークを抜いて更に上昇しているというのに、雇用者報酬は低迷したままであった。
K改革の失敗 輸出に偏り過ぎた経済運営の咎め。 格差拡大と内需の停滞。 
K政権が直面した三つの課題 二〇〇一年四月に発足したK内閣は、少なくとも三つの経済的課題を、それに先立つ日本経済から引き継いでいた。  第一は不況の克服である。
日本経済は、○○年度には世界的なITバブルに伴い、輸出が大きく伸びたため、一時的にプラスニ・六%という高い成長を記録したが、そのITバブルの崩壊により、○一年度の輸出はマイナスとなり、鉱工業生産は○一年から○二年にかけて急落した。 このため○一年度の成長率はマイナス〇・八%に落ち込み、○二年度になって成長率はようやくプラスに戻ったものの、僅か一%にとどまった。
○三年一月には完全失業率が五・五%のピークに達し、勤労者の所得(雇用者報酬)は、○四年一〜三月期まで減り続けた。  第二に、このような中で、大手銀行の一角である「R銀行」の経営危機が表面化し、株価は暴落して再び金融恐慌前夜の様相を呈した。
九七年の「平成金融恐慌」以来くすぶり続けていた金融危機の最終的処理が第二の課題であった。  第三の課題は、財政赤字の縮小である。
これも先程詳しく述べたように、官僚に主導されたH内閣が、「財政赤字の圧縮は待ったなしの最優先課題である」という誤った認識の下で九七年度の超緊縮予算を執行し、経済をマイナス成長に落ち込ませて逆に財政赤字を拡大した。 その結果、九七年当時、他の先進国に比べてほとんど遜色のなかった日本の政府債務残高対GDP比率は、その後急上昇し、K内閣発足時の○一年度には、本当に他の先進国を大きく上回ってしまったのである。
 「財政緊縮、金融超緩和」のK戦略 不況の克服、金融危機の処理、財政再建という三つの課題に直面してK政権が採った基本的戦略は、「財政緊縮、金融超緩和」のポリシー・ミックスであった。 財政緊縮によって財政赤字の縮小を図る一方、不況克服の役割を日本銀行に押し付け、ゼロ金利政策、量的緩和政策などの超金融緩和政策を採らざるを得ない状況に追い込んだ。
 超金融緩和政策は、一方で円安を促進して輸出主導の景気回復を実現し、他方で金融危機の深化を防ぎ、その処理を容易にした。  こうして「財政緊縮、金融超緩和」のポリシー・ミックスというマクロ経済政策によって、三つのマクロ経済的課題の解決に一定の成功を収めたK政権は、その副作用として、輸出産業と内需産業、企業と家計、大企業と中小企業、中央経済と地方経済、正規雇用者と非正規雇用者などの間に、大きな格差を生み出した。
 これまでに見たように、国民生活は超低金利、円安、輸入インフレによって不利を蒙ったが、この三つも「財政緊縮、金融超緩和」のポリシー・ミックスから生じた結果である。  K・A・Fと続いた政権は、このポリシー・ミックスの副作用である格差拡大と国民生活の困窮に対して、適切な解決策が打てなかった。

いわゆる「K構造改革」は、格差拡大と国民生活の困難に立ち向かって「安全・安心」を確保するものではなく、むしろ格差拡大を助長し、国民の安全・安心を脅かすものであった。  H政権以来の官僚主導政権の失敗で財政赤字が拡大してしまった以上、「財政緊縮」はやむを得なかったし、九七年度以降の日本の潜在成長力がすっかり弱まってしまったので、「超金融緩和」もやむを得なかった、という弁解が表面的には一応成り立つように見えるかも知れない。
先に詳しく述べた九七年度以降の官僚主導政治の失敗の責任を棚上げすれば、一見そう見える。  しかし、「財政緊縮、金融超緩和」以外に日本の経済戦略がなかったと言うのは誤りである。
 以下では、いま要約したK政権以降の政策的失敗を詳しく述べ、次で米欧の金融危機と世界同時不況という新しい事態と日本経済の関係を整理し、最終に、日本の採るべきマクロ経済戦略と進むべき針路を述べたい。  信用収縮を招いた「金融再生プログラム」 まず、K政権が発足した直後に直面した金融危機の処理から話を始めよう。
 金融機関の経営は、K政権が発足した○一〜○三年に厳しい試練にさらされていた。 それは、自己資本比率の維持に加え、不良債権の早期処理、経営効率の向上という「三重苦」を背負わされたからである。
 T金融担当大臣は、○二年一〇月に「金融再生プログラム」を発表し、「主要行の不良債権比率(○二年三月末平均八・七%)を○五年三月末までに半減させる、それまでの間はペイオフ解禁の完全実施は延期する(倒産銀行の預金は全額保障する)」という方針を打ち出した。 そして銀行に対して、三つの指標の改善を求めた。
不良債権比率の引き下げ、自己資本比率を八%(国内銀行は四%)以上に維持、収益性の向上、の三つである。  これは難題である。
不良債権を減らすには、不良債権の償却か、貸倒れ引当金の有税積み増しか、不良債権を割り引いて市場に安く売却するしかない。 いずれも収益を減らすので、収益性の向上と矛盾する。

それによって収益が赤字になれば、自己資本を崩さなければならないから、自己資本比率の維持とも矛盾する。 また自己資本比率の引き上げは一単位の資本で貸出を行える額(信用拡張係数)を引き下げるので、収益性の向上とも矛盾する。
 この相互の矛盾を和らげる唯一の方法は、共通の分母である貸出残高を、期待収益率が低く、信用リスクの高い方から減らすことである。 減らす対象は多くの場合中小企業向け貸出から選ばれ、中小企業に対する「貸し渋り」「貸しはがし」となったのである。
 再び金融恐慌前夜に 本来は、貸出などの保有資産のリスクを評価し、どの程度の自己資本比率を保っていれば安全かを判断し、収益の極大化を図るのは、銀行経営の責任である。 相互に矛盾するこれらの最適組み合わせを実現するのが銀行経営であり、その出来、不出来によって、銀行経営に差ができる。
その差を判定するのは、「市場」であって、「行政」ではない。 この具体的な比率を強制したこの時期の銀行行政は、市場経済のルールに反した過剰介入であった。
 この過剰介入による難題で、銀行経営は窮地に陥ったが、たとえ大銀行といえども救済しないとT大臣は言い切っていた。 このため銀行株を中心に、日本の株価は暴落し、○三年四月二八日の終値は遂に日経平均株価でバブル崩壊後の最安値である七六〇七円となった。

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